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「チェブ」を語る。伊藤有壱さん

「チェブラーシカ」
─クレイアニメーターの独り言─

伊藤 有壱 (アニメーションディレクター)

 最初に見たのは、たしか大学生の頃、「この上映会は会場を出た途端に忘れて下さい」と前置きされた場所でと記憶している。

 特に可愛いもの好き、というわけではないが、以来「禁断の可愛い作品」として自分の中で分析を封印してきた人形アニメーション、それが「チェブラーシカ」だ。
 今回執筆の機会をいただき、おそるおそる時運の初恋を人に話すような妙な気分でとりかかってみた所、意外にも発見が多くその魅力が表面だけのメッキではなかった事に驚き、あらためてその豊かさに感服している。
 私がクレイをはじめとした立体アニメーションを作り始めて13年余りになる。だが、その深淵はあまりに遠く豊かで入口からやっと一歩ふみ出した感がある。
 作り手の眼で観た評は時に本作の本質を濁しかねないが、これも限りない敬愛の念ゆえ、一興とお赦し願いたい。

R-6_000000.jpg「人形」として観たチェブラーシカの魅力はあの独特なシルエットに包まれた、はにかんだような、こまったような表情である。
 中でも私が注目するのは「瞳」のみが照明を受けて、小さな星(=ハイライト)を宿す点だ。オレンジの箱からねむそうに出てきた、毛ボサボサの小動物がなんの運命か、知らない街で過ごす中で、時おり本当にさりげなく見せる瞳の中の小さな星が、その魂の不安や喜びや悲しみを観る人に伝えるポイントになっているのだ。作り手が相当にこだわった事を確信する。
 絵が動くアニメーションと立体の違いは、撮影対象が「実在」する点だ。「照明=ライティング」による演出は、その特徴の1つであり、大きくは舞台全体の時間帯、季節、空気感などから、小さくはカップの光沢や瞳の星までをつかさどる。そして「無垢」の結晶のようなキャラクター「チェブラーシカ」とワニの「ゲーナ」のみがこの星をもっている事で、同じ魂をもつ者同士がなぜかひかれ合う運命をも感じさせているのだ。今回公開のメイングラフィックの「チェブラーシカ」にも小さな「星」が宿っていたのが嬉しい。
 そしてこれを観客に無意識のうちに刻みこむには、他のキャラクターや小道具に光を反射する素材や面積を作り手が意識して配置する(この場合、周囲を無反射でマットな質感におさえる)ことではじめて成り立つ。

 その瞳の星の繊細さの一方で、屋外のセットは絵本を演劇の舞台化したようなスタイリッシュなデザインで統一され、リアリティは求めていない事がわかる。足もとの床に落ちる影がキーライトと別に2方向に伸びているのもいかにも舞台的であり、おおらかなご愛嬌でもある。
 ちらりと見たことがある絵本原作のイメージはそのままに、第一作目の美術デザインがオリジナル感あふれていて特に素晴らしいと思った。サヴィニャックなどでもおなじみ1950年代のグラフィックデザインを意識したシンプルな線とシルエットのイラストレーションが徐々にボリュームを増して(画面一番奥はただのシルエット→奥の家並はまっ平らな板への書き割り→手前は完全な立体物)立体化してくる。その表現のグラデーションを何の違和感もなく同居させるセンスと技術力には脱帽だ。

R-5_000000.jpg ステージ上のキャラクターにも、そのルールは反映されていて、主役のチェブラーシカ、ゲーナが一番クラフト感、触感を大切に自然と画面の中でひき立つ存在になっており、その次のシャパクリャク→街をそうじするエキストラ的なおひとよしのお兄さん……のように、ワキ役になるにつれシンプルさを増している。この名ワキ役たちを観るのももうひとつの楽しみである(個人的には、前半の街を堂々と走る薄っぺらな板の自動車や後半のサルがツボだ)。

 おっと、「人形」自体についてもう少し触れよう。
 冒頭登場するオレンジを買う男、ポスター貼り、果物屋のおじさん、動物園の守衛、ライオン、クマ、少女「ガーリャ」、子犬の「トーピク」、謎のおばさん「シャパクリャク」と、くまねずみの「ラリースカ」、「ピオネール」の4少年、旅の若者3人組etc…。
 挙げればキリがないほどの名ワキ役たちなのに、どれも一見見たら忘れられないその理由の1つは、一体一体のシルエットがはっきり違う個性を放っている点にある。

 これはキャラクター設定する時の基本ルールともいえる事なのだが、立体アニメーションを作る側からみれば、「絵」とはすべてが異なる。表面の素材など、目に見える部分と、アニメートするための針金やアーマチュア(金属球体関節)がその中に仕込めるか、ジャンプする時など不安定な姿勢の人形を床下やセット上から仮固定する仕掛けを着脱できるか等々、作品上、目に見えない課題をクリアせねばならない。最近はメイキングの書籍等も手に入りやすいので知識としてはご存知の方もいると思うが、実際やってみるとそこに必要な労力に今でも気が遠くなる。

 私のスタジオI.TOONでも、若いスタッフ中心に、横浜馬車道のスタジオに2年ほど前に引っ越して以来、昼夜問わず馬車馬のようにアニメーションのためのクラフトを作り続け撮影を続けている。
 私自身は美術大学でデザイン科を卒業、ビジュアルエフェクツの大手プロダクションに勤務後、CGプロダクション業務を7年ほど経てから、はじめて立体の世界に身を投じてみて、今まで「古い」と思っていたアナログの技術が自らの体験を通して関わる程に、深く、豊かで、愛おしく感じている。
 そのきっかけは、1994年に英アードマンアニメーションを訪ねた時、設立者の1人ピーター・ロード氏自らにギャス・フェリーロードの古いレンガ倉庫を丁寧に案内していただいたとき、全身でもの作りの現場の空気を感じた事かもしれない。翌春、自分なりのアイディアを「ニャッキ!」という5分程度のクレイアニメーション作品として発表する事ができた。

 そして「チェブラーシカ」のアニメーションワーク! そう、動いてこその魅力は、もはや説明するまでもないが、これも作り手から観るとまた別の喜びがある。
 ワニのゲーナが淡々と、しかし孤独に過ごすため息や気持ちの流れまで染みこんでくるような、つまらなそうにハンドルオルゴールを廻す仕草の「静」と、まるで早回しの古いフィルムを見るかのようなサクサクとしたアクションで「友だちの家」を作ったり、鉄クズを運んだりの「動」のアクションが同じ役の中でも共存しながら、ストーリーがテンポよく進んで行く。さらに一番元気なシャパクリャクばあさんのダンサブルな演技と、ペットのくまねずみがチョロリ! と飛び出す一発芸などなど、いずれが主役といっても良いほどの個性的な演技が世界観に厚みを持たせている。

 パペットアニメーターは、人形を動かす前に、何回も何十回も時には何百回も、その演技のイメージを反芻し、人形を触ってその構造を自分のものにしてから撮影にのぞむ。単に感情移入するのとは違い、客観的にフィルムでの見え方を理解して実行するプロフェッショナルが求められる特殊な「役者」ともいえる。チェブラーシカが涙ぐんでうつむいたり、気持ちをふるいたたせて元気に行進する姿に素直に生命を感じるのは、まぎれもなくパペットアニメーターの想いが届いたという事でもあるのだ(かつて、みんなのうた「グラスホッパー物語」でバッタのおじさんに扮した名優のっぽさんと、ひとひらの葉っぱをダンスで共演させた時、担当のアニメーターが「(先に撮影された映像と照らし合わせつつ)確かに私はのっぽさんとダンスしていたんです!」と云っていたのを想いだしながら、今ではそれが単なる思い込みではなく、クリエーターの意識の拡張として素直に理解できるのだ)。

 人形、背景美術や小道具、照明、撮影、アニメート……そして音楽や、音響、シナリオ、それらをまとめあげる演出技術……などなど。
 これらが奏でるハーモニーのような作品「チェブラーシカ」。そのストーリー世界は、小さくもドキッとするハプニングが無数にちりばめられていて、観客が子供であれ大人であれ、決して飽きさせることなく、その気持ちをいつしかメロディーにのせて心地良いダンスに誘ってしまう。1作目の友だちの家のエピソードは、その意味でもっとも秀逸といえるが、2作目、3作目、4作目と、それぞれのエピソードを作り手という奏者それぞれの個性とともに、「メロディー」の違いを楽しむことができる。

 同じ立体アニメーションに関わるクリエーターとして、今、この作品を支えた素晴らしき表現者たちに時代を超えて拍手を贈りたい。





伊藤有壱(いとう・ゆういち)

東京都出身。一九八五年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業後、一九八八年までビジュアルエフェクツプロダクション白組に在籍。CGプロダクション、フリーランスを経て、一九九八年アイトゥーンを設立、同代表。日本アニメーション協会理事。東京藝術大学美術学部大学院教授。おもな代表作は、「ニャッキ!」(95~、NHK教育)、「traveling」(宇多田ヒカルミュージックビデオ クレイパート)「グラスホッパー物語」(NHKみんなのうた)「ノラビッツ ミニッツ」(松竹110周年記念劇場発信型ショートアニメーション)など。