1999年04月


04月05日(月)
11時よりジブリBarにて入社式。ムゼオの事務所がスタジオと離れており、中の人にあまり顔を知られていないため、新入社員と共にムゼオの紹介も行われる。ちなみにムゼオの事務所は、宮崎監督のアトリエである「豚屋」の一室。もちろん家賃は払っている。


04月07日(水)
カフェの内部打ち合わせ。メニューや形式のことについて話を進めるが、結局いかにゴミを出さずに食事を出すかに話が向かってしまう。


04月08日(木)
セキュリティ関係の話を警備会社の方から説明を受ける。「パチンコ玉を床にまき散らし、その上に金庫をのせて持ち去る手口がある」という話には妙に感心。


04月09日(金)
昼から建築合同会議。新しい建築模型もあり気分も盛り上がる。


04月10日(土)
ムゼオ・ダルテ・ジブリも4月から社員が7名。今まで豚屋の一部屋に入居していたが、手狭のため、もう一部屋を借りることに。

新しい部屋には、盛田、西方両氏が移動したが、二人とも髭面男のため、豚屋の雰囲気と相まって、一見「山小屋につくる男の書斎」風になる。さっそく書類を広げ始めたので、そのうち「山小屋に潜伏する男」風なることは確実。


04月12日(月)
二馬力に古武術家のコウノさんが来社。コウノさんは日本の様々な武術を研究され、独自の体捌きを修得した方である。技に出る前の気配が感じられないので、実際に向かい合う人は身動きが取れないらしい。宮崎監督も「すごい! すごいけどキモチワルイ!!」と連呼していた。


04月13日(火)
先週から宮崎監督の依頼により、安西さんが工作用紙で展示室部分の模型を作っていた。出来上がりを見て、美術館全体を作ろうということになり、宮崎さんを筆頭に工作用紙を使っての美術館作りが始まる。


04月14日(水)
午前中、宮崎、北嶋両名が井の頭公園に現地調査に出かける。

今日も工作用紙を使っての美術館作り。ネコバスを作ったり、みんな仕事そっちのけでディティールに凝り始める。

午後、清水さん来社。模型を元に、展示内容や導線について話合う。


04月15日(木)
安西さんの知り合いで、横浜元町でカフェ経営者にカフェの話を聞きに行く。時間が中途半端だったため、元町に行く前に、かねてから噂の「ラーメン博物館」を偵察に行く。中はかなり作り込まれていて、町の裏通りも雰囲気が出ていた。修学旅行生や何故かスーツ姿のビジネスマンも多く、平日とはいえかなりの賑わい。もちろん、ラーメンの味もなかなかのものだった。


04月16日(金)
午後、三鷹市と打ち合わせ。


04月17日(土)
土曜日なので出社人数が3人だけ。外からの電話もなく、打ち合わせもなく、のどかな時間が流れていく。社長と二人、まだ完成していない展示室の模型を作 い作業になりそう。現在はイメージボードを整理中。


04月21日(水)
何事もない一日であった。


04月22日(木)
ムゼオの体制を再確認するための打ち合わせ。


04月23日(金)
午後、建築合同会議。

夕方から、「となりの山田くん」の合唱録音。前回よりもメンバーが増強され、一層力を増すジブリ合唱団。雨の音と選挙カーの演説を気にしながらの録音だったが、ボイストレーニングも行い、みんななかなかの熱唱。合唱録音を二馬力で収録したのは今回で2度目。前回同様篠原さんお手製のケーキもついて、「次はタダで貸すのはやめて、スタジオ使用料とケーキ代を取ろう。」と宮崎監督が話していた。


04月26日(月)
男性陣は朝から会議。女性陣は、岡本さんの指導のもと美術館のスタディ模型に着彩の作業を行う。白い発砲スチロールの地に緑や茶色のパウダーで彩りし、美術館全体を緑で覆う。なかなかの仕上がりで、宮崎監督もご満悦。

作業の途中、何でかわからないが手巻寿司の話になり「お寿司が食べたくなった。」とのスタッフの言葉に、宮崎監督が「吉祥寺においしいお寿司屋があるから、今度ごちそうしますよ」と一言。監督のその言葉を私たちは忘れない。