2000年11月


11月01日(水)
明日のレイアウト変更のため、夕方には各自の荷物を段ボールへ入れてしまう。
何となく仕事が手につかなくなり、今日から出社の新人・佐々木さんも交え、即席の食事会となる。冷蔵庫掃除も兼ねて、レトルト食品を一掃したので、文字どおり「即席」だ。そんなことはつゆ知らず橋田さん、三好さん、石光さんは3スタからの移転に備えて、新しい倉庫に行ったり、荷物整理をしたりと大忙し。


11月02日(木)
武蔵境の事務所のレイアウトを変更。机や荷物は入れたままで床下配線やパーティーションを入れ替えるため、西方さんは「最初にあの机は南側、それから配線、そしてあの荷物は北側へ」とパズルのように指示をしている。

レイアウト変更後は窓側が打ち合わせスペースになり明るい雰囲気となった。吾朗さんは「やっぱり窓がないと気分が暗くなるよね」というが、建設中の美術館の某部屋って窓が無い予定ないんじゃ。


11月04日(土)
3スタから引っ越した石光さんと三好さんはスイング初出社の日。しかし今日は 3連休を取っている人もいて人が少ない。石光さんはマック機器類の接続と起動をジブリCG部の北河内さんに助けてもらいながら進める。
何だかよく分からないがフリーズしたり、コンセントをつないだとたんマックが起動したりして、一筋縄ではいかないようだ。
一方、3スタにはさっそくジブリ制作陣の為のスペースが出来ていた。


11月06日(月)
日曜日に美術館の人材募集が新聞に掲載された。電話での問い合わせを受け付けているのだが、朝からさっそく電話が鳴りまくる。

吾朗さんが螺旋階段の工場検査に出かける。

北嶋さんと吾朗さんがイタリア製の某部品について打ち合わせ。「イタリア製だからサイズの精度とかあやしいかも」という北嶋さんに、「いや、イタリアは飛行機だって作っている国なんだから」と吾朗さん。そうそう、「GHIBLI」だってイタリア製の飛行機の名前なんだから。


11月07日(火)
人材募集の応募書類を郵便局留めにしたため、西方さんが自転車で取りに行く。
持ちきれないほどの書類を期待していたが、局員さんに「1通もありません」と言われ愕然。すぐに手違いで別のかごに分別されていたのがわかったのだが。

北嶋さん、宍戸さんは八ヶ岳のエツ子さん宅へ打ち合わせに出かけた。帰ってきてから「ドライブには良い季節だわ」という台詞に、「仕事しろ」との声が。いや、仕事をしまくって疲れたからこその台詞だったんですよね。

ゾートロープ用のモーターの試作品が届く。


11月08日(水)
人材募集の応募書類が徐々に増え始める。今回は「ジブリ美術館と私」という小文を添えて貰っているのだが、応募の皆さんの情熱が伝わってきて思わず読みいってしまう。


11月09日(木)
新人の伏見さんが電話をとると「宮崎です・・・」。一瞬、吾朗さんにしては声が?と思ったらしい。確かに、宮崎監督自ら電話をしてくることは珍しい。

西方さんが来年度に向けて有給残のチェックをしている。ちょうど同時に盛田さんが「うーん」とうなったため、誰もが「ああ、来年の休暇を考えているな」と思ったらしい。本人はまじめに仕事してたんですけど。


11月10日(土)
吾朗さん、北嶋さんは塗装工場にでかける。

先週から日誌の主担当となった西方さんは、「ウォー、もうダメだ。俺の才能は枯渇している」と叫びながら、すでに遠い昔となった先週月曜日からの日誌を書いていた。「大変なんだよ。日誌を書くのは」「今まで人ごとだと思ってたでしょ」と橋田さんと石光さんの声をよそに「もう絶筆宣言です」など勝手なことを言っている。まめに書いておけばいいのに。

三好さんは物品管理の方法に関して佐々木さん、西方さんと打ち合わせ。なにしろ美術館全体で数千点にも及ぶであろう物品を管理しようというのだから大変だ。


11月13日(月)
週が明け、人材募集応募の締め切りの日。週末の分も含め大量の応募書類が届く。やはり小文を最後の最後で書き上げた方が多いのだろう。橋田さんは丹念に一つ一つ読んでいくため、選考は深夜にまで及んでいた。


11月14日(火)
中川李枝子さん、山脇百合子さん、福音館書店の方々をお招きして、ジブリで美術館用短編作品の試写が行われた。映画パンフレットの取材のため、橋田さんは中川さんと山脇さんのお話を伺いにジブリへ。とても良い話を伺えたようで、出かける前は風邪でへろへろだった橋田さんは上機嫌で帰ってきた。一方、安西さんも山脇さんに展示でのご協力をお願いし、快諾をいただいた。


11月15日(水)
橋田さんがある企画の着想のために「となりのトトロ」のCDをずっとかけている。1回ぐらい聞く分には可愛くていいのだが、これが一日中オフィスに流れているとほんわかした気分になって、かえって仕事がすすまない。


11月16日(木)
「○○に行ってもらってきました」と、日中ずっと姿を見せなかった吾朗さんが夜になって大根片手に事務所に現れる。何しにどこに行っていたんだろう…。


11月17日(金)
ムゼオ内でも風邪が流行りかけている。震源地とされる小葉松さん、その向かいに座っている橋田さんに続いて、虚弱体質の烙印を押された三好さんが事務所の隣にあるクリニックにお世話になる。

スタッフ募集の第一次面接が始まる。


11月18日(土)
出演者を招いて美術館用短編作品の試写を行うということで、吾朗さん、橋田さん、佐々木さんがジブリ試写室に出かける。

カフェで出すお菓子の試食が行われる。皆がまじめに品評を行うなか、盛田さんと西方さんは「これはうまい、これはまずい」ととってもシンプルに判定していた。いや、決して味音痴というわけではないと思うが。


11月20日(月)
渡辺さん、西方さんがあいにくの雨の中、監査に訪れた会計士の先生方と現場視察に出かけた。その後、さらに雨の中を3スタ、二馬力へと展示物等を見て回った。


11月21日(火)
吾朗さんが、天井扇の羽を作ってくれることになった方を苦労して探しだした話を宮崎監督に報告すると、すでにその方の存在を知っていたそうで、「知っていたのなら最初に教えてくれればいいのに」とぼやいていた。


11月22日(水)
ネコバスの毛の色と長さがほぼ決まった。どら猫風の色を目指すことになる。


11月24日(金)
採用の一次面接のピーク日。朝一番から夜遅くまで各部署の面接が続いている。

夕方からジブリにて徳間社長を偲ぶ会が行われる。ムゼオのスタッフも参加したのだが、橋田さん、佐々木さんはご馳走を味わうのもそこそこに夜からの面接の為にとんぼ帰り。


11月27日(月)
渡辺さん、盛田さん、西方さんは三鷹市と打ち合わせ。

三好さんが図録の企画の参照用に、宮崎監督が美術館に関して語った言葉や指示を書きとめてみている。以前の日誌も読み返している。が、具体的な言葉がなかなか思い出せないでいるらしい。


11月28日(火)
採用面接が事務所の上階の会議室を借りて行われる。普段はダンス教室などに使っている場所らしく、ムゼオがあるフロアーとはどことなく違うムードが漂っていた。


11月29日(水)
運営と総務担当者が一同にあつまり、開館までの作業項目をチェック。あまりの多さに愕然とする。


11月30日(木)
年末年始の恒例、年賀状の為に住所録の追加をしているが、昨年に比べて何倍にも増えている。ここ1年で美術館に関わっていただく方がますます多くなっているということだろう。