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ライブラリー事業室

この春、ジブリ美術館ライブラリーは
「ルパン三世」1st.TVシリーズを採り上げます

[文責]三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー事業室  


「ルパン三世」といえば、日本では知らない人はいないと言っても過言ではない超有名作品です。もともとは1967年に連載が始まったモンキー・パンチの人気マンガがあり、それを原作として、過去30数年に亘ってアニメーション化されてきました。
 今回、三鷹の森ジブリ美術館ライブラリーはこのアニメーション化された「ルパン三世」の中から、1971年から72年にかけて放映された最初のテレビシリーズを採り上げます。いわゆる“1st.TVシリーズ”。今から約38年前の作品です。この最初のテレビシリーズには高畑勲、宮崎駿の二人が制作に深く関わっていますが、「アルプスの少女ハイジ」や「母をたずねて三千里」ほどにその事実が知られているとはとても言えません。シリーズ途中からの参加であったということももちろんあるでしょうが、何よりも、この作品のフィルムに記載されているクレジットに高畑、宮崎の名前がまったく含まれていないことがその大きな理由でしょう。「Aプロダクション演出グループ」という名前しかフィルムには出てこないのですが、そうなったのは、演出家の交代という特別な事情がこの作品の制作過程であったからです。今回、ジブリ美術館ライブラリーではこのシリーズの中から、高畑・宮崎が関わった中盤~後半の話数より3本をセレクトして上映します。そしてこのシリーズが製作された時代を改めて振り返りつつ、「ルパン三世」1st.TVシリーズという作品を今一度見つめ直そうという試みです。題して「TVアニメ考現学第一弾」。

「ルパン三世」という作品の魅力は
1st.TVシリーズで確立された

 この作品の第1話が放送されたのは1971年10月24日。日曜夜7時半の30分枠でした。テレビアニメとしては初の大人向け番組として企画されたこのシリーズは、演出:大隅正秋、作画監督:大塚康生、美術監督:千葉秀雄、音楽:山下毅雄、脚本:山崎忠昭・大和屋竺・宮田雪・他、といったスタッフによってスタートしました。制作は東京ムービー(現トムス・エンタテインメント)。大人向け作品ということで、ハードでダークな描写や色っぽいシーンも交えながら、アクションとユーモアを独特のアンニュイなムードを漂わせながら描き、舞台は無国籍、思想はアナーキー、しかし車や銃は実物を正確に登場させることにとことんこだわりカッコよさを追求した、当時としては異色作であり意欲作でした。

 しかし、この「ルパン三世」1st.TVシリーズは視聴率が最初からまったくふるわず、上層部は直ちに演出家を交代させ、大人志向をやめて路線を変更することで何とか視聴率の回復を図りました。そこで急遽ピンチヒッターとして演出を担当することになったのが高畑勲であり、高畑と共に制作に参加した宮崎駿でした。彼らは小田部羊一と共に、「長くつ下のピッピ」を作るためにこの年東映動画を辞めて揃ってAプロダクションに移籍したのですが、原作者リンドグレーンの許諾が得られず企画が難航していた時期でした(「ピッピ」は結局準備作業のみで中止)。こうして高畑・宮崎は「ルパン三世」に参加。途中まで制作が進んだ話数については1話ずつその内容とどこまで制作が進んでいるかをチェックし、どう修正するかを決定し修正を施し、後半の話数については最初からまるまる演出する、という作業が突如始まったのです。毎週1本ずつ放送するテレビシリーズですから、ただでさえ厳しいスケジュールだったはずですが、それを途中から変則的に直すのですから本当に現場は大変だったと思います。時間はもちろん無かったでしょうし、予算も限られていた中で、ともかく全23話が制作され、最終回・第23話は1972年3月26日に放送されてシリーズは終了しました。この作品は作画がいささか乱れた回も見受けられますが、それはこうした理由によるものです。また、クレジットに名前を出さず「Aプロダクション演出グループ」としたのは、このような事情で引き受けた仕事であったせいでしょう。

 この最初のテレビシリーズは、71~72年の放送当時はまったく話題になることなく終了しました。しかし、再放送があるたびにどんどん視聴率が上がり、テレビ局にも続編を望む声が沢山寄せられ、ついには第2弾のテレビシリーズ製作が決定し1977年10月より放送開始。赤いジャケットを着たルパンの登場です。なお、スタッフは一新され1st.シリーズのメインスタッフはほとんど参加していません。第2シリーズは最初から高視聴率を記録し、それを受けて劇場用長編映画も何本か製作され(第2作が1979年の宮崎駿監督作品「ルパン三世 カリオストロの城」)、その後はさらにピンクのジャケットを着た第3シリーズ「PART・」が製作され、テレビシリーズが終わった後も毎年テレビスペシャルが製作されて高視聴率を取り現在に至っています。ですが、アニメーション作品としての「ルパン三世」の魅力は、1st.TVシリーズでほぼ確立されていたと言っていいでしょう。そして、それはシリーズを始めた当初のスタッフが目指したものに、高畑・宮崎の参加による路線変更が加わり生み出されたものです。シリーズを通して作画監督を務め、アニメーション版のキャラクターを確立させた大塚康生の働きも大でした。

 高畑・宮崎による路線変更は、大人志向をやめるという上からの指示を受けてのものでしたが、だからと言って単純な子供向け作品に仕立て直そうとしたわけではありません。過酷な制作環境の中で、高畑と宮崎は出来る限りのことをしました。後に当時を振り返って高畑勲は次のような文章を書いています。「私たちは愉快にかつがれることが好きです。映画であれば「そんなバカなことが!」と思いつつ、どこかほんとらしく思わずバカ笑いしてしまっている、そんな状態にしてくれるもの。そこにホロリとペーソスなんぞがまじれば、ますますうれしい。面白い筋、面白い人物、面白い手口やギャグで吸入圧縮点火と来て爆発排気する……そして後味がよくて何度見ても面白いとなれば、これは最高です。」(初出:「ルパン三世」オリジナルサウンドトラック・ドラマ編レコードライナーノート・1980年7月。単行本『映画を作りながら考えたこと』に再録)。スカッとしたカタルシスが得られる、明快で良質な娯楽作品を目指したことがうかがえます。

 また、同時期に宮崎駿がこのシリーズについて書いた文章にはこうあります。「……まずなにより“シラケ”を払拭したかった。命ぜられたのではない。シラケが時代の先端だとしても、ミニカーレースのあの活力はぼくらのものだったのだ。快活で陽気、まぎれもなく貧乏人のせがれ、ルパン。……ルパンはクルクル走りまわり逃げまわり……知恵と体術だけで、あくことなく目的を追うルパン。」(初出:月刊誌『アニメージュ』1980年10月号。単行本『出発点』に再録)。宮崎のこの文章のタイトルは「ルパンはまさしく、時代の子だった」です。そして、「……あの時代のふたつの顔を同時に持つことで、ルパンはより時代の子どもらしくなったのだと思う。」と書いています。「ルパン三世」1st.TVシリーズは、番組終了後、「早すぎた」「時代を先取りしていた」としばしば言われましたが、しかし本当にそうであったのか。あの時代だからこそ生まれた、時代をまさに反映した作品だったのではないでしょうか。

作品がつくられた時代とTVアニメの中での位置づけ

 当時のTVアニメは「巨人の星」「あしたのジョー」などのスポーツ根性もの、「天才バカボン」「新オバケのQ太郎」などのギャグもの、「アンデルセン物語」「ムーミン」などのメルヘンものなどがありました。1963年に「鉄腕アトム」で始まったTVアニメですが、創成期に多数作られたSFものはやや下火であり、「マジンガーZ」などの巨大ロボット物や「海のトリトン」「宇宙戦艦ヤマト」などのSFドラマ、「アルプスの少女ハイジ」などの名作路線の登場はこの少し後です。いずれにせよ、「ルパン三世」1st.TVシリーズの製作が開始されたこの時期は、「巨人の星」に代表されるいわゆるスポ根ものが全盛を極めていました。時代は60年代から続いた高度成長の末期。当時「巨人の星」に熱中していた子供たちはそんなことは考えもしませんでしたが、やはり「巨人の星」には、高度成長を支えたモーレツ社員たちのあり方と明らかに通ずるものがありました。そして「ルパン」はそうした滅私奉公的精神主義に対するアンチテーゼをはっきりと意識して企画されたものです。演出変更後の陽気で快活なルパンも、根性主義と無縁な点は共通しています。しかし倦怠(アンニュイ)やニヒル、シラケではなく、“狙った獲物は必ず奪う”べく、知力と体力をフル回転させて熱心に行動するシリーズ後半のルパンは、宮崎駿の言うようにこの時代のもうひとつの顔を表していました。

 放送が開始された1971年はどんな年だったかを、ここで改めて振り返ってみます。前年には大阪万博があり、ドルショックがこの年ありましたがオイルショックはまだ2年後で、よって高度経済成長はいまだ継続中でした。一方、60年代後半に盛り上がった学生運動は前年の70年安保が不発に終わり、全体としては減速しつつ一部が過激化しますが、あさま山荘事件を経て連合赤軍のリンチ事件が明らかになるのは翌72年のことです。そして海の向こうでは未だベトナム戦争が続いており、ベトナム人はアメリカを相手に戦っていました。公害問題は依然として深刻でしたが、問題である、という認識は広く共有されるようになっており、たとえばゴジラシリーズで公害を取り上げた「ゴジラ対ヘドラ」が製作されたのはちょうどこの1971年です。1971年はこのように、世情には60年代から続く高揚感が存続しつつも、どこか違った空気が流れ始めた境目のような時期だったと思います。大衆消費社会が一定の段階に達し曲がり角を迎えつつある時期、とも言えるかもしれません。大衆文化についても、60年代のカウンターカルチャーの流れは継続していましたが、70年代の新しい動きがそこここで始まっていました。「モーレツからビューティフルへ」のTVCMが流れたのは前年の1970年です。ちなみにビートルズの解散発表も1970年であり、レッド・ツェッペリンの初来日はちょうどこの1971年でした。

 映画(映像作品)は時代の産物だ、という趣旨の発言を宮崎駿はしばしばしていますが、この「ルパン三世」1st.TVシリーズは特にそれを強く感じさせる作品だと思います。また、特殊な事情により生じた厳しい制作条件の制約も随所に感じられます。しかし、未だに高く評価され続けており、再放送のみならず、VHS、レーザーディスク、DVD、ブルーレイディスクとメディアを変えて何度もビデオソフト化されてきました。また、昨年はNHKのBSで全話を一挙に放送する特集企画も実施されました。今回の上映は趣向を変えて、この作品が作られた時代を振り返りつつ、当時のTVアニメの中でどんな位置づけだったのかも考慮しながら、この作品を見直してみようという試みです。その上で、この作品の魅力は何なのかを改めて考えてみよう、ということで企画されました。

 ところで、この作品の魅力、と書きましたが、企画を進めるにつれて、今の若い人にはこの1st.TVシリーズが案外知られていないことも分かってきました。「ルパン三世」の知名度は100%と言ってもいいくらいですが、35年以上に亘って制作され続けているわけですから作品数は膨大な数にのぼります。作品数が増えれば増えるほど、最初のテレビシリーズを他のシリーズと分けて認識する若い人がどんどん少なくなるのは、考えてみれば当然です。「ルパン三世」はもちろん知っているけれど、特にこのシリーズを他のシリーズや映画と区別して捉えているわけではない、と言うか、早い話が1st.TVシリーズのエピソードを実際には観たことがない人が、今の20代から30代には意外と多いということが見えてきたのです。これはいかにももったいない、と考えたことも、今回このシリーズをジブリ美術館ライブラリーで採り上げることになった理由のひとつです。

 というわけで、青いジャケットのルパンの最初のテレビシリーズを、あなたもぜひ自分の目で確かめてみてください。
(敬称略)