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<small>同時上映</small><br />鉛の兵隊<br /><small>爆笑問題 太田光<small>&</small>光代夫妻</small>

СТОЙКИЙ ОЛОВЯННЫЙ СОЛДАТИК

ESSAY

鉛の兵隊を観て ──
爆笑問題 太田 光

namari_06.jpgこの作品を観たのは二十年近く前だ。ある日、妻がレンタルビデオ屋で借りてきた。

 たった二十分ちょっと時間の中に、これほどのメッセージが無理なく収められるものかと。確かにその時感じたのを憶えている。

 美しい絵と、たった三人の登場人物と、幾つかのセリフと、シンプルな音楽。こんなものが存在するならば、二時間近くもかけて、生身の俳優が何人も出てきて、愛情や憎しみや幸福について、ああでもない、こうでもないと物語を展開させることに何の意味があるのだろう。と。

 まだ創作というものを始めたばかりの私だったが、その時も確かに、ボンヤリそんなことを考えたのを憶えている。
 妻は私以上にこの作品に魅せられたようだった。何かに夢中になった時の妻がいつもそうであるように、その晩も何度も何度も繰り返しこの『鉛の兵隊』のビデオを見返していたのを憶えている。


 おそらく私は付き合いきれずに途中で寝てしまったと思うが、妻は夜が明けるまで繰り返し観ていた。
 私達がこれを観たのはその夜の一度きり。明くる日ビデオは返却し、以来現在まで再びそのビデオを見つけ出すことは出来なかった。
 妻は後になって、あの時そのままビデオを返してしまったことをとても後悔することになった。なぜあの時あれを買い取っておかなかったかと。
 当時はその金も無かったのだがら仕方ないのだが、妻は無理してでも買っておくべきだったと、二十年近く、ことあるごとにそう言い、諦めきれずに探し続けていた。
 私も確かに感動したが、そこまでの執着心はなかった。


 二十年近くの時間が流れ、物語に再会した時の妻の反応は意外だった。
 私は始まった瞬間、記憶が蘇り、ああ、そうだった。これだったと確信した。絵もあの頃の記憶のまま、音楽もセリフも、感動も。そして自分の感想さえも同じだった。こんな短時間にこれほどのことが表現出来るなら、他の表現とは何だろうか?と。
 ところが妻は物語が始まると途中で私に言った。「本当にこれだった?」私よりよほど執着し、あれほど繰り返し観ていた妻が、そのイメージに自信が持てない様子だった。私がこれに間違いないというと、妻は再び何度も繰り返し見始めた。そして言う、「確かにこれだけど、もっとこんなシーンがあったはず、あんなシーンもあったはず」と。その妻のイメージは完全に元の作品を超えていた。おそらく長い時間を経て、物語の記憶は妻の中で夢となり、その夢は、元の作品を超越したイメージとなっていたのだと思う。


 表現とは、とても不思議なものだと思う。


 昔も今もこれを観て、他の表現など出来るのか?と同じ感想を抱いた私は、今、妻の頭の中のイメージを映像で観てみたいと思うのだった。


鉛の兵隊 ──
タイタン 太田光代

namari_05.jpg物心付いた頃に、初めて読んだ絵本がアンデルセンの『にんぎょひめ』という作品だった。 この話は悲恋の話なのだが、何度か読み返しているうちに、作品の中に悪者がいないことに気付いた。魔女が悪者だと決め付ける人は少なくないと思うのですが、童話には善い魔女もたくさん存在するのです。  たとえばペロー原作、『シンデレラ』。ここに登場する魔女はご存知のとおり、とても善い魔女です。グリム童話の『いばらひめ』にいたっては魔女十三人中、悪い魔女は一人です。  そうして『にんぎょひめ』の魔女のことを考えると、この魔女はただ海の中で取引をしていただけなのです。ご商売です。「人魚のひれを足にする薬を作ってあげる代わりに、貴女の綺麗な声をくださいな」と取引をしたのです。しかも人間の足が欲しくて、この話を持ちかけたのは人魚姫の方です。人魚姫が恋に破れて、海の泡になる運命のときにも、彼女のお姉さまたちが、「なんとかなりませんか?」と魔女に切望したところ「人魚姫を人魚に戻すアイテムをお渡しする代わりに、皆さんの長く美しい髪をくださいな」です。それ以上のことは、アンデルセンの『にんぎょひめ』の魔女は何もしていません。


 王子や、王子と婚約した隣の国のお姫様も、人魚姫をとっても可愛がって、結婚後も自分達の妹として、お城におくことを考えていました。王子を海から救い出したのは人魚姫ですが、浜辺で瀕死の状態の王子を見つけたのは、確かに王子と婚約をした隣の国のお姫様なのです。
 そこで身分相応の二人は恋に落ちました。人魚姫の入り込む隙間はすでに無かったのです。


 『にんぎょひめ』の話の本質は、可哀想な人魚姫という単純なお話ではなくて、別なところにあります。それが何かはぞれぞれの解釈でいいと思いますが、童話とは沢山の読み取りの要素を含んだ、簡素にして究極の哲学書だと思うのです。
 特にアンデルセンの物語は童話の王道だと思います。それは悲しみを伴うものではあるけれど、その先にある何かを見いだすことに意味のあることを明確にしてくれています。子供のときの感覚で感じ取れる感情と、経験を重ねた大人にしか感じ取れない感情がハッキリとしていて、読み返すたびに発見があります。

 そんなアンデルセンの作品の一つが『鉛の兵隊』です。
 この作品も大変に奥深く大好きなお話でしたが、ロシアで制作された短編映画を観たときに、アンデルセンの童話からすっかり放れてしまいました。哲学的要素は目で見えることの無い自己の中の発想と思っていた私の考えは、海の泡のように消えて、この短編の映画を何度も観かえしては新しい発見をして、物語の本質を見出しました。

 二十年ほど前に偶然この作品に出会ってから、『鉛の兵隊』とはこの映画のことになりました。


太田 光(おおた・ひかり)

お笑いタレント、漫才師。1965年、埼玉県生まれ。1988年、日本大学芸術学部中退後、田中裕二と「爆笑問題」を結成。現在は妻・太田光代が手がける芸能プロダクション「タイタン」に所属。現在、テレビのレギュラー7本、ラジオ1本を抱え、子供から大人まで絶大なる人気を得ている。2006年、芸術選奨文部科学大臣賞放送部門賞受賞。オムニバス映画『バカヤロー!4』(森田芳光プロデュース)のうち1本を監督。エッセイストとしての側面も持ち、「パラレルな世紀への跳躍」「トリックスターから、空へ」(以上、楓書店)などがある。



太田光代(おおた・みつよ)

芸能プロダクション「タイタン」の代表取締役社長、太田光の妻。東京都生まれ。高校卒業後タレント活動を続けるが、1990年に太田光と結婚し、1993年「タイタン」を設立。現職に就く。「タイタン」には、爆笑問題、長井秀和、橋下徹(弁護士)、山中秀樹(アナウンサー)、ガラクタコージョーなどが在籍する。