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スペシャル企画

背徳的な思春期と四十一歳の私 (小冊子『熱風』2007年2号掲載)

俳優 香川 照之

np.jpg 映画を見終わった時、三島由紀夫の遺作『豊饒の海』の初巻、『春の雪』をまず思い出した。

 最終的に若き青年との永遠の恋を成就させるためには、尼寺に入るしかないという逆説的な苦渋の選択をする、一人の無垢な女性。

 全編を貫く圧倒的に甘美な世界観の末に迎える何ともほろ苦いこの結末は、「春のめざめ」「春の雪」ともに、十九世紀における閉鎖的な社会から澱(おり)のように濾(こ)し出されてくる背徳的な性意識、払っても払ってもしつこく蛇のように下っ腹の奥に絡みついてくる倒錯的な邪念、芽生えたばかりの自らの社会的地位や立場からは遙かに抗しがたいそんな押さえきれない性的情念に、「女性の貞操」という不可侵の膂力(りょりょく)によって斧を振るうがごとく楔(くさび)を打ち込むことで決着をつけるという展開において、奇しくも偶然の一致を見るのである。

 思春期、という厄介な人生のモラトリアム―猶予期間が、そこに色濃く介在していることは言うまでもない。

 では、思春期とは何であろう?

 ましてや、我々が遠く想像も及ばない十九世紀の帝政ロシア、あるいは明治時代の封建的な貴族社会に絡め取られていたかつてのこの日本において、青年たちが通過せざるをえなかった思春期とは、どのようなものであったろう?

 この問いに答えるのに、これらの物語が、まだそんな貞節を人々が辛うじて守っていた時代の話だということは大きく作用してくるはずだが、それは一旦横に置いておく。「春のめざめ」において、アレクサンドル・ペトロフ監督自身も問い続けていたであろう自らの思春期というものは、さて一体何であったのか。

 この映画の十六歳の主人公アントンは、性的には遙かに成熟した青年として描かれる同級生と比べて、極めて保守的な旧家のぼんぼんのように設定されているようだ。ゆえに、踏み出せそうで踏み出せない、しかしそれが、ネガティブな性的倒錯がマグマのように潜んでいる上での消極さではなく、背徳的なものには近づくべきではないという正しい理念に裏打ちされた消極性として書かれているところが、この映画を静謐で清らかなものにしている。

 自分の家で働く下女のパーシャに密かに小さな思いを寄せるアントン。家という最小単位の中に、自分の赤い糸の女性が早くも降臨しているはずだという思い上がった妄想は、思春期を迎えた全ての男子がまず抱く最初の過ちであり、図らずもこのアントンも、その大いなる誤謬(ごびゅう)を拠点として自らの性的成熟をおずおずと出発させている。

 さて、である。

 この物語が何ともメルヘンティックに思えるのは、何も、ペトロフ監督が油絵を何千枚も重ねることによってこのアニメーションを世にも滑(なめ)らかな、完全に溶け出して皿の上を這い出している大量のべっこう飴のような画の綿々とした繊細な連鎖で推し進めているからだけではない。

 このパーシャという、アントンと同じ、年かさも行かぬ一人の少女が、下働きという立場の違いを超えて、アントンがそう想う以上にアントンのことを想い焦がれている、その奇跡的な符号がまず提示されているからである。

 だが当然のように、アントンの心はそこには安息を見出さない。その像には焦点を結ばない。

 成熟した気高く美しい年上の女性セラフィーマ。この誘惑の化身・アフロディーテが、全ての背徳を背負ったかのようにねばねばの糸を吐き出しているほの暗い蜘蛛の巣から、やはりアントンは目を反(そ)らすことが出来ないのである。

 蜘蛛の巣に搦め取られた幼い蝶が、いつまでも心地よく思っている訳がないように、やがてセラフィーマの決定的な汚点を突きつけられアントンは悲しみの沼に沈み、もがき苦しむ。瀕死の傷を負ったアントン。そこに真の女神として自らを捧げたパーシャ。その無垢な想い。全ては、帝政ロシアの貴族階級という閉じた世界の苦く甘い時間の堆積となって、ペトロフ監督がしたためた油絵の中に儚(はかな)くも収斂(しゅうれん)していく。

 思うに、思春期とは、思春期を過ぎ去った人間が甘美にそれを振り返ることでしか存在しえない、実は記憶の産物でしかないのではあるまいか。逆説的な言い様だが、思春期という実体を通過している時はそこに実体はなく、人生が澱(よど)み進んで実体が過ぎ去り、過去のものとして記憶の中に閉じ込められて初めて、思春期の実体が朧気(おぼろげ)に形をもたげてくるのではないだろうか。

 思春期における青年は多かれ少なかれ、性への執着、背徳へのよろめき、自己顕示欲、強大な支配欲、その全てが、実に抗しがたい鋼(はがね)となって背中を押し、自分でどうブレーキをかけたものかも分からない存在である。

 質素で慎ましく、隙がなく、実直で吝嗇(りんしょく)もせず、正直で素直で真面目で心清らかな家族、両親、兄妹、そんな理想郷に囲まれた人物ならいざ知らず、この地球上に存在する生きとし生ける人間は、みな己だけは裕福になり、楽になり、他人より抜きん出、苦しい思いからは死力を尽くして脱却し、貧困からは意地の思いで這い上がり、とにかく己の欲求を満たしたいと思い焦がれ、そんなこんなで何千年も歴史を重ね遺伝子を変質させてきた我々なのだ。思春期の中核を成すあらゆる種類の性への憧れに、それが間違った方向のものだと自力で歩みをやめられるほど、我々はもう無垢な時代に生きている生物ではない。抗しがたい欲求を否とはね除ける時代の力、あるいは自らの背後に宿るフォースとでも言うべきもの、それらは、とうの昔に消えてしまった。そう、言ってみれば、この地球自体がもう思春期ではないのだ。

 だから、苦い思いが全てを支配する思春期をその時にどうこうすることは多分出来ない―そう私は思っている。そしてそれは、人生が中盤に差し掛かった我々のような人間が、ああ、あそこはああすれば良かった、ここはこうだったと若い世代に訴えるように、こうした映画や小説で語る他ない質のものだとも諦めている。

 私は、小学校から高校まで男子校に通わされていた。

 女子が周りにはいなかった。

 そのためだけという訳ではないが、私の思春期は思念の中で歪みに歪み、背徳の思いがとんでもない方向に成長したかと思ったら、それを試すまでもなくまたとんでもない方向へと猛スピードで折り返し、また、将来俳優を目指してしまうようなバカな思い上がりと底なしの顕示欲の塊だったためか、そんな思春期の背信や背徳を打ち消すだけの環境も信念もあいにく人生に持ち合わせず、そのため、思春期が大方出来上がって社会という大海の中に放り出された時は、歪められた思念のみがツチノコのようにとぐろを巻いて五臓六腑の底に沈み、どうにもならない厄介な人間として、それが「俳優」としては豊かな感情の源泉になっていると言えなくもないのかもしれないが、「人間」としては全く食えない、情もない、不埒で不遜でバツだらけの人間になってしまっていたのである。

 けれども、一つだけ良い情報があるとすれば、その何とも駄目でやり場のない思春期のおかげで、今やっと、反省し悔い改め少しはまともな後半生にしたいと思える四十一歳になれたということであろうか。

 今の、このがさついた時代を生き抜かなければならない若い世代に、思春期をちゃんと生きろなどと無責任なことは言わない。アレクサンドル・ペトロフが描く人間像のように、人生にどこかで楔が打ち込まれて曲がったものが正される幸運が降りかかるのなら、それに感謝すればいい。

 しかし、もしそうでなく、私のようにずるずると歪んで背徳的な思春期をばく進してしまったとしても―それはそれと受け入れ、長い人生、後で十分後悔すればいい。時間はたっぷりあるとしか言えない。

 その時に思い返す思春期も、何十年か前に味わった本物の思春期に比べて、決して悪いものではないのだから。もっと言えば、思春期を過ごすべき時代に経た経験だけが思春期ではないのだから。思春期というものを思った瞬間に頭の中に描かれる全ての甘美な思い、その全てが実は思春期そのものなのだから。

 アレクサンドル・ペトロフも、きっとこの油絵を描きながら、そしてこの物語(ストーリー)を甘く思い描きながら、かつて過ごした自らの思春期の甘い淵の上に降り立っていったに違いない―。


香川 照之(かがわ・てるゆき)

一九六五年、東京都生まれ。俳優。一九八九年のNHKの大河ドラマ「春日局」でデビュー以来、TVドラマ、映画、舞台に数多く出演。映画は二〇〇六年だけでも「嫌われ松子の一生」、「明日の記憶」、「ゆれる」などに出演。二〇〇五年には「北の零年」で第二九回日本アカデミー賞優秀助演男優賞受賞。TVドラマでは「利家とまつ」、「アンフェア」、「役者魂!」など。舞台では現在パルコ劇場にて行定勲演出「フール・フォア・ラブ」に主演で出演中。著書に『中国魅録―「鬼が来た!」撮影日記』『日本魅録』(両書ともキネマ旬報社)がある。