西岡事務局長の週刊「挿絵展」 vol.37 ぼくの妄想史【伍】 欧州から学んだ思想


 この連載では"ぼくの妄想史"のコーナーで取り上げられている絵画について紹介していますが、今週取り上げるのは、和田英作の"渡頭の夕暮"です。和田英作は、1874年に鹿児島県垂水市に生まれ、東京美術学校へ入学してからは原田直次郎や黒田清輝らに学び、その堅実な作風により、官展の重鎮として活躍した洋画家です。1959年、84歳で亡くなっています。作風としては、20台半ばでフランスに3年間留学をしたり、黒田清輝に師事したことからもわかるように、フランスの印象派の流れを汲み、なかでも外光派ともいわれる自然光の下での屋外創作が特徴的です。実は、これまでは、油絵の創作は戸外を描いた絵であっても屋内で行なうのが普通でした。それは、絵の具の扱いが難しく、すぐに乾いてしまう屋外では難しかったことが大きな要因です。この時代になってチューブ入りの絵の具が発明され、絵の具が乾かなくなったことが屋外での創作を可能にしました。実際に屋外にキャンバスを立て、自分の目で見ながら描くことで、自然の光や空気をより画面に再現することが可能となり、それが外光派と呼ばれる画家たちの作風となりました。そんな和田の代表作が、この展示で紹介されている"渡頭の夕暮"です。

 この絵を見て、連想されるのが、一連のジャン=フランソワ・ミレー(Jean-Francois Millet、1814-1875)の作品です。"農民画家"と呼ばれたミレーは、たくさんの農民たちを描いた作品を世に残しました。代表作は、"種まく人"、"落穂拾い"、そして、今回、宮崎監督が注目している"晩鐘"だと思います。"晩鐘"はとても有名な絵なので、図工や美術の教科書にも載っていましたので誰もが一度は目にしたことがあると思いますが、農民たちが夕方のひととき神に感謝の祈りを捧げている瞬間を切り取った傑作です。全体が柔らかな夕陽のオレンジ色の光に充たされ、その中で敬謙なクリスチャンであろうふたりの男女が頭を垂れています。今日も一日の農作業を無事に終えられ、その幸せを神に感謝しているのでしょうか。こうしたミレーの作品は、やはり農業が盛んであった日本では、昔から大変人気があったようです。
s130212a.jpg上: 和田英作"渡頭の夕暮" 下:ミレー"晩鐘"

 このふたつの作品、描かれている内容は少し違うのですが、逆光を利用して光に充たされた画面の中で人物をくっきりと浮かび上がらせている所がよく似ていると思います。ただ、外面的なものだけではなくもっと精神的なものについても、監督は言及しています。"情緒として伝わる意味を持つ絵、あるいは田園こそ人間の住む場所であるという思想をこめた絵もまた、西欧からまなんだものでした"と。和田がミレーを意識していたかどうかは知るすべがありませんが、確かに"渡頭の夕暮"では、農作業を終えてこれから帰ろうとしている一家の、水辺に夕焼けが反射しているのか、その美しさに手をとめて見入ってしまった瞬間を描きながら、描かれた人々の幸福感までを表現しているようです。確かにそれが、監督の語っている"田園こそ人間の住む場所"という思想なのかも知れません。

 こうして、明治に入って、洋画という技法を通してその思想までもが日本に伝えられたのでした。欧州から怒涛のごとく日本に伝えられた文化の奔流は、とどまることを知りません。通俗文化の先人たちは、この文化の奔流を模倣しながら上手に取り入れて、やがて独自の変容と発展を見せていくことになるのです。