西岡事務局長の週刊「挿絵展」 vol.13 どうやって印刷していたの? 【壱】


 ラングのフェアリーブック・シリーズ(童話集)は、1889年の"The Blue Fairy Book"から始まって、1910年、"The Lilac Fairy Book"の最終巻が発刊されるまで、およそ20年にわたって12冊が発刊されました。この時期のイギリスは"ヴィクトリア朝時代"とよばれ、繁栄を謳歌していたことは、以前にも述べました。先日閉幕したロンドンオリンピックの開会式をごらんになった方は覚えているかもしれませんが、牧畜を中心とした田園風景が、産業革命によって生まれた工場によって、あっという間に都市と化した様子がパフォーマンスで紹介されていましたが、ちょうどこの時代にあたるのです。1863年にはロンドンで地下鉄が開通し、1882年には白熱電灯の街灯も設置され、1876年に発明された電話もみるみる普及し始めていました。日本でも、明治から大正にかけての頃なのですから、近代国家への道を歩んでいた時代であり、案外最近のようにも思えます。

 そんな時代、今回の展示されているような精密な挿絵はどのようにして印刷されていたのでしょうか。文章の印刷には金属の活字を使った活版印刷の技術が用いられていました。平圧プレス機という機械を使って印刷するのですが、活字といっょに挿絵を印刷するために使われたのは、"木口木版(こぐちもくはん)"という版画の手法です。

 "木口木版"は、画家が描いた挿絵を"ツゲ"や"ツバキ"などの目が詰まった固い木材に彫り込んで印刷する版画の手法です。同じような木を使った版画である浮世絵が"板目木版(いためもくはん)"という手法を使ったのに対し、小さくて精密な版画の技術が必要であった挿絵にはこちらが使われています。"木口木版"と"板目木版"の大きな違いは、前者が木材を輪切りにした断面に画を彫り込むのに対し、後者は柔らかな"サクラ"の木を縦に割った板を使って、より大きな画を表現したことにあります。また、板目木版では画を彫る道具として普通の彫刻刀が使われるのに対し、木口木版では、手のひらで包んで押すようにして使うビュランという道具が使われます。固い木に精密な画を彫るために発達したやり方なんですね。もちろん、画家であるフォード自身が彫るわけではなく、専門の彫り師の仕事だったそうです。

 ただ、近代文明が急速に発展した時代です。印刷の世界も例外ではありませんでした。挿絵の印刷には徐々に写真製版の技術が使われるようになります。ラングのフェアリーブック・シリーズを見るだけでも、時代とともに行なわれた印刷技術の更新が見て取れるのです。(つづく)

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「木口木版に使われる柘植の版木(左)と、ビュラン(右)」 (挿絵展の会場で実際にご覧になれます)