西岡事務局長の週刊「挿絵展」 vol.04 沙漠の魔王【弐】


 今回の企画展の「ぼくの妄想史-自分は何処から来たか-」という展示パネルは、入口から続くヘンリー・J・フォードの挿絵を中心とした一連の展示とはちょっと趣を異にしています。宮崎監督自らが、"自分は通俗文化の担い手だ"と定義づけ、近代日本の自分と同じような体験をしたと思われる作家の作品を取り上げて紹介しているものだからです。その最後に置かれた"沙漠の魔王"については、さらに他の作家たちとは取り上げた意味が違うような気がするのです。
 監督が自ら語っているのですが、幼い宮崎少年は毎月"冒険王"(秋田書店刊)が届くのが本当に待ち遠しくて、その中で大好きだった"沙漠の魔王"を繰り返し繰り返し読み返しては、あれこれと想像を膨らませていたんだそうです。登場する近代科学の象徴である兵器や、ロボット、潜水艦、戦車たち。捕らえられた三つ編みの少女。それを追う謎の軍隊や原住民たち。科学と同居する不思議な魔法。のちの宮崎監督作品の冒険活劇の要素のルーツはもしかしてここにあったのかと、驚かされる作品なのです。"リレーのバトンのようなもの"と監督は例えていますが、通俗文化とは先代からもらったものを自分の作品の中で昇華し、また次の世代の作家がそれを受け継いでいく、そのリレーなのだと。人間の想像するものは、なんらかの記憶が作用していないものなどありえず、まっさらな状態からは何も生まれてこないといっても過言ではないでしょう。ヘンリー・J・フォードの挿絵に描かれているドラゴンや巨人や妖精の姿だって、その後の作家たちに与えた影響は計り知れないと思うのです。
 ところで、最初に"沙漠の魔王"は特別だと述べたのですが、その理由についてお話しておかなくてはなりません。それは、今回の復刻版の中に"福島鉄次からのごあいさつ"が掲載されており、それを読んで本当に驚いたからです。宮崎監督が"もらったもの"というのはもっと大きなものだったのかもしれません。監督は福島先生の作品の根底に流れる作者の思いに共感したから、この作品が好きだったんじゃないかなあと思ったのです。最後に、その福島先生の言葉を紹介させていただきたいと思います。

『どんな時も元気で、何事にも負けない少年、いつも明かるく、正しい道を進んで行く少年、このような少年が今の日本には必要なのです。今の社会は、段々と明かるい住みよい社会になりつつありますが、まだまだ沢山の難しい問題が残っています。特に次の日本を背負うべき皆さんは、勇気を持って社会の暗い面と斗って頂かなくてはなりません。 (中略) 皆さんも、「沙漠の魔王」を、そして「冒険王」をお読みになる時は、唯面白いと云うだけでなく、その中から、悪い事はしりぞけ、正しい事はあく迄やり通す精神、どんな苦しい事にあっても、これを笑って迎え、決してへこたれぬ勇気をくみとって頂いたなら、私はそれ以上の喜びはないと思います。皆さん、どうかボップ君に負けない元気な少年になってください。(※)』

info120626a.jpg福島鉄次(1914-1992)
※復刻版「沙漠の魔王」(秋田書店刊)より引用

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